中国地区
[田村尚之] ゴルフ・トップアマのつぶやき
本格的にゴルフに取り組み直したのは、 社会人になってから。
会社のお墨付きをもらって、 有給休暇を使って試合に出てました
ゴルフクラブを初めて手にしたのは小学校に入学する前で、小学校低学年の頃には、すでに自分のクラブを持っていた……などと言うと、「ああ、やっぱり競技アマになる人は違うんだ」なんて言われそうですが、実際のところは、父親が持っていたものに興味をもって、ただ触っていただけでした。それと、その父にくっついてよく練習場へ行っていたので、父が「大人のクラブじゃ打てないだろうから、これで打ってごらん」とレディスの3番アイアンを短く切ってくれたのを1本だけ持っていただけでした。
ただ、練習場で父が休憩している間は黙々とボールを打っていたのは事実ですから、普通の人よりはゴルフと関わりを持ったのは早かったかもしれませんね。
そんな練習(?)の成果もあってか、マイクラブを持って初ラウンドした小5の時には、ワンハーフ回って、最後のハーフは40台のスコアを出しました。実は、このスコアは父親より良かったのです。何をやっても父親には勝てない年齢だったので、嬉しかったですよ。
それが、ゴルフを好きになるきっかけだったのかも知れませんね。
★初競技
競技に初めて出たのは中学の時で、中国ジュニアでした。それを目指して練習したのではなく、たまたま家の近所のゴルフ場でその大会が開催されることになり「近いから出てみようかな」程度の感覚でした。そしたら成績が良かったので、関西ジュニアに出られることになり、中学生の部で優勝してしまったのです。
普通なら「それじゃあ本格的にゴルファーへの道を」なんてことになるのかもしれませんが、通っていた学校が中高一貫教育の進学校だったもので勉強のほうが忙しく、ゴルフは長期休みにだけやる、まったくの趣味となってしまいました。
★復活
本格的にゴルフプレーを復活させたのは、大学を卒業して社会人になってからでした。考えてみれば、すごく長いブランクですね。
入社3年目に広島県アマで優勝して、地元の新聞に名前が載ったことで、「有休で試合に出ていいぞ」と会社のお墨付きをもらったんです。会社はサッカーでは有名でしたが、社内的にゴルフは超マイナーでしたし、有給休暇を取っても「ゴルフの試合に出ます」とは言いにくかったので、この新聞記事は結構助かりました。
ところが、中国アマそして日本アマとステップアップしていくうちに、今度は有休だけでは賄い切れなくなって、給料減額で試合に臨むしかなくなっていきました。これが10年以上続きましたから、やっぱり競技がとことん好きだったんでしょうね。
★退社
どの会社もそうでしょうけれど、この不況で私の会社も合理化のため、1800人の早期退社優遇制度が実施されたのです。私はその対象ではなかったのですが、時期を同じくして、妻の父親が突然他界し、その会社を手伝わないかという話がありました。会社に残ってもきっとゴルフは続けたろうし、そうなったら、居たくても辞めさせられた同僚にも申し訳ない気がして、悩んだ挙句、思い切って退社したのです。
いろいろな意味で、今はそれが正解だったと思っていますが、決してゴルフをやりたいがために辞めたのではありませんでした。
★ミッドアマ優勝
94年の日本オープンでローアマになれたことは、自分のゴルフに自信がつきましたね。それがあっての今回のミッドアマの優勝だったと思いました。ゴルフは常に不安との戦いですが、その陰を削ってくれるのが結果としての戦績だと思っています。今回は調子も良かったし、不安よりも自信が勝っていて、ショットも曲がる気がしませんでした。
ただ、勝てたのは運が良かったからでしょうけれど……。
★教訓
尊敬している先輩にもらった言葉がありまして、それをゴルフの教訓としています。
「言い訳はするな」「自分を信じろ」「結果は後からついて来る」がそうですが、これを常に私のゴルフの原点としています。特に言い訳はするなというのは、ミスを何かのせいにしたがる時には必ず思い出すようにしています。
★夢
夢というより、これから目指すべきものとして、日本アマのタイトルを含めて、アマチュアのグランドスラムへ向けて、自分のゴルフを深めていきたいと思っています。
田村 尚之(たむら・なおゆき) 1964年6月24日まれ
賀茂カントリークラブ所属
172cm 65kg
日本アマ出場18回
02、03年日本ミッドアマ優勝、00、03、06年中国アマ優勝
07年日本アマ2位、95、96、05〜07年ナショナルチームメンバー
(2008年1月25日発行 ゴルフ・トップアマのつぶやき総集編)