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 ペンででぃ〜おふ  Vol.29 (2006.11月号掲載)
すっかり、日本の顔になった宮里選手。アマ時代のスイングを見てみよう!
>>2002日本女子アマ当時
>>2003日本女子アマ当時
>>2004プロ転向当時
いことトーナメントを取材してきたが、こんなシーンは、初めて見た。日本女子プロゴルフ選手権最終日のことだ。舞台は北海道苫小牧市のニドムクラシックコース。宮里藍の帰国第一戦ということで用意されたチケットは大会前に完売となっていた。最終日も大ギャラリーがコースを埋めていた。
 そのシーンとは、大ギャラリーに囲まれた9番パー3ホールのグリーンで展開された。宮里を2打差で追う辛 周が、ティーショットで奥にこぼしたボールをピン1メートル弱に寄せた後である。ボールに歩み寄った辛は、ピックアップしたところで固まってしまった。キャディに渡して拭いてもらうつもりだったのだろうが、マークするのを忘れていた。手を伸ばしかけたキャディもまた、北の大地に凍り付いてしまった。ギャラリーは、異様にざわめいていた。
 元の位置に戻し、今度はマークしてボールを拾い上げたが、1ペナルティーはまぬがれなかった。辛は、結局ボギーで宮里との差は3打に開いた。
 「なんであんなことをしたのか、自分でもわからない」。2位でホールアウトして辛は、そう口にした後「ちょっとトイレにいきたくなっていたからかな……」とハプニングを苦笑いで包もうとした。
 もう一度9番ホールに戻ろう。最終日、宮里に1打差でスタートした辛は、1番のバーディですぐに並んだ。3番は両者ボギー、4、5番と宮里の連続バーディで2打差。その後はパーを取り合ってのマッチレースのような展開で、9番ホールを迎えたのだった。辛は、宮里との戦いで緊張のピークに達していたようだった。ピンチを脱してちょっと緊張がほぐれる。それが一瞬頭の中を空白にさせたのではあるまいか。「なんであんなことをしたのかわからない」というセリフだけが、本当のところではなかったか。
  実は宮里、最終日に別の戦いをしていた。8アンダーでの史上最年少優勝を果たした後のインタビューで「なんとか2ケタまで伸ばしたかったのですが、まあ、勝ててよかったです」と答えている。なぜ10アンダーまで伸ばしたかったのか。その理由も明かしている。
「アメリカ女子ツアーのトッププロなら、このコースで間違いなく10アンダー以上のスコアを叩き出していると思います。だから、私もなんとかそこまで伸ばしたかったのですが……」
 優勝を喜んでも、スコアには満足していなかったのだ。アニカなら、ウェブなら、オチョアなら……。相手は同じ組の辛ではなく、米女子ツアーで自分よりも上にいる選手たちだった。辛は宮里藍を前にして、一人相撲をとらされたことになる。
 帰国第2戦のミヤギTV杯ダンロップ女子オープンでも同じようなことが起きた。今季絶好調で賞金女王レースを独走する大山志保が、終盤で信じられないようなミスを連発し、4連続ボギーで自滅した。宮里藍の逆転優勝でる。相手に自分の存在を常に意識させる。意識させずにはおかない。米男子ツアーでのタイガーや、全盛時の尾崎将司に似た圧倒的な存在感。それが、宮里藍のアメリカ土産であった。
 「帰国第1戦だったから、なんとしても勝ちたかった」(日本女子プロ選手権)
 「ここでの優勝が、私のゴルフ人生を大きく変えてくれた。だから、応援してくださった多くのみなさんに成長したところを見ていただき、優勝をプレゼントしたかった」(ミヤギTV杯)
 勝つための意味づけを見つけ、モチベーションを高めるしたたかさ、喜びを独り占めせず、ギャラリーと分かち合おうとする謙った言動。宮里藍はスーパーヒロインへ一直線に突き進んでいる。
すっかり、日本の顔になった宮里藍選手。アマ時代のスイングを見てみよう!
>>2002日本女子アマ当時
>>2003日本女子アマ当時
>>2004プロ転向当時
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